今年のアリの会(徒歩巡礼の会)新年会に特別参加してもらった高石ともや氏は、西国巡礼古道をマラソン・リレーで走りたいということで、古道の質問で来山されました。(
四月二六日那智山出発)
聞けば、氏は、日本最初のトライアスロンの優勝者ということです。4Hの水泳、120
Hの自転車、42 Hのマラソンと聞くだけでも草疲れます。然も氏は、アメリカ大陸横断の走破にも参加、十三人中七人はリタイア、残り六人中の第五位
でありました。時に一九九三年(平成五年)、五十一才(他の五人は全て三十代)のことであ
ります。
一日七十五H、六十四日間にわたる苦斗はもちろん常人の仕業(しわざ)ではありませんが、氏の話で特に興味を覚えたのは、レース中、絶対
怒ってはならない、ということで す。怒った人の挫折についての具体的な因果
関係は聞き洩らしましたが、連想したのは、南極観測隊に参加した医師の話で、観測地では、碁、将棋、麻雀の類は禁止
されているということでした。勝負事による競争心が人の和を乱し かねない、ということです。ならば、宇宙船の中の三人の飛行士は如何でしょう。萬一、人の和が乱れたら収拾がつかなくなりますから、よほど練れた人柄の方たちと思われます。
ところで腹立たぬ方法や如何に、ということですが、標題の靜坐を指導して、大正期一世を風靡した岡田虎二郎の名を御存じの方は少ないと思われますが、かつてのベストセラー「声を出して読みたい日本語」の斉藤孝氏が、近著
「代表的日本人」の中で、岡田をその一人に數えております。
岡田は明治五年(一八七二)、愛知県に生まれ、三十才にして渡米、帰国後、上京してから端坐すること二年、この間に安田財閥の安田善次郎宅で、強度のノイローゼの若者二
人を十日にわたる靜坐で治療したことで有名になり、四十才にして、日暮里の本行寺を会場として「岡田式靜坐」の普及が始まったのであります。
その門を訪う人は著名人も多く、社会運動家、木下尚江、足尾銅山事件の田中正造などがいて、木下は「余が思想の一大転化は靜坐の賜(たまもの)なり」と述べ、田中は「東洋に聖人生れ顕(あらわ)る」と日記に記しています。
文学者に至っては坪内逍遙、長岡節、島村抱月、石川啄木、中里介山、萩原井泉水などがあり、夏目漱石夫人も靜坐を試みています。ヨガ哲学の第一人者佐保田鶴治氏は、岡田を生涯出逢った最高
の人物とほめたたえています。
ところで、岡田の衣鉢を継いだのが外科医小林参三郎で、彼はハワイで外科医をしておりましたが、帰国後、東寺境内にあった済生会病院でメスを「坐」に代えて病気の治療に当りました。
近くは、日航初代社長、柳田誠二郎氏がその道に精勵され、「靜坐のすすめ」の著書もあり百才の長寿を保たれました。現代では、小林幸蔵大阪府立大名誉教授が御熱心で、一九〇七年生れの先生はなおかくしゃくとして指導に当っておられます。毎月第一日曜日に私の畏友、大阪在、佐々木英彰師のお寺で集いがありますので、可能
ならば足を伸ばしたいものです。
その他、新木富士雄北陸電力会長は、一昨年まで毎夏知恩院で行 なわれていた会で、いつも体験談を
語られました。
靜坐とは一口に云って日本式坐禅と申せましょう。両足を組まずに重ねて坐り、瞑目をつづけます。警策等はなく、しびれが切れたら腰を上げればよく、決して固苦しいものではありません。
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