約束された死

 私は戦時中、敗戦の年、足掛 け七ケ月ながら、陸軍予科士官学校に在籍しておりました。現代の世相を見ておりますと、青年期には、こうした体験も一時期必要なのではないか、と思われます。
 それはともかく、当時、神国日本の理念をことごとに教育され、敗戦など想像の埒外でありました。時に、「狂忠」純度の極度に高い忠誠心 ) 「恋闕(れんけつ)闕は宮城の意)」といった言葉も訓(おし)えられ、正に楠本正成、山彦九郎の銅像は、理想の英姿でありました。
 併し、身近かな我が家族を護るため、国に身を捧げるということは、母子家庭の私にとって は、自らの死が母の孤立を招くという矛盾を孕(はら)んでいて、兵種が航空でもあった私が、もし特 別攻撃隊を志願せねばならぬ日に臨んだ時、心の辻棲をどのように合わせることが可能か、のディレンマに悩みました。
 思いもかけぬ敗戦は、この苦悩を解消してくれたのでありま すが、さて徒らに日を経て七十年、若き日に悩みぬ いた自動態の死から、否応なく迫ってくる受動態の死に対して、覚悟の程は如何にと問われる身となりました。
 九死に一生も得られぬ若き日の悩みと、望むと否とを問わず生を失なう老残の悩みとを類比 して感なきを得ません。若き日には、少なくとも「死処を得る」 心の高まりがありましたが、老の身には、その決意も高ぶりもありませぬ 。併し、次の瞬間にでもその時が訪れる可能性を孕んだ、老の日を、現下迎えているのであります。

 

 




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