今年十月一日より当山の七十 七年ぶりの秘仏開帳が行なわれ ますが、本尊の収められた「宮殿<くうでん>」は、今から二百三十年ほど前に、田辺(現舞鶴市)の「棟梁※」
によって造営された高さ三米に及ぶ荘厳精緻なものでありま す。その宮殿の下の須弥壇<しゅみだん>の中
から、エイプリル、フールもその翌二日のこと、四天王の一つと覚しい仏像のトルソーと別
像の上腕部が発見されました。
早速写真ではありますが、要路の方に観ていただいたとこ ろ、平安時代の作とのことで
あります。享保元年(一七一六) の火災後、同十五年に現代の本 堂は再建されていますから、当
年以降、かつて境内にあった堂宇が老廃して、そこに祀られていた仏像が、壇下に入れられたのかも知れません。
或いは想像を逞しくすれば、 古図によると、阿弥陀堂がありましたから、昭和三十八年に発見され、重要文化財に指定されている快慶作の銘のある阿弥陀如来坐像を本尊とし、天台風にその脇侍として、昆沙門天、不動明王が祀られていて、そのト
ルソーや上腕部が残されたのかも分りません。
いずれにしましても、この平安期のトルソーは、鳥羽天皇来山時に寄進されたと伝えられる、国宝の仏画、絹本著色「普
賢延命菩薩像」や、その時手植えされたという銀杏の巨木(市指定文化財)と共に、平安時代の当寺の隆盛(寺領四千石、若狭和田より白鳥峠に及ぶ。寺坊六十五ケ寺)を偲ばせる鼎<かなえ>の一つとなるものです。
四月二日の八百年前の仏像発見は、まことに意義深いものが ありました。こうした発見を通
じて、当寺の歴史に更に新しい光の射すことを期待しております。
因みに、 近く根立京大教授が来山されて調査が行なわれます。
また、 この宮殿へ秘仏本尊が移入、入仏されたのは安政八年 (一七七
九) 十二月十六日で、時の住職は下記の等空上人でありまし た。
※大工棟梁 田辺堀上町 孫三郎、佐右衛門
下大工 田辺 多治兵衛、庄八、正平
木挽 六路村 勘六
塗師 田辺職人町 甚助、金兵衛、平次郎
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