藤田霊斉師(1868〜1956)といっても、あまり知る人は ないかと思われます。真言宗の僧侶であった同師は、若い頃酒毒に犯された身の恢復を願っていまし
たが、たまたま出会った、白隠禅師著「夜船閑話(かんな)」を手に、山中にこもること十数年、白隠の説く呼吸法の真髄を体して、心身の健康を恢復し、広く世にうったえることになったのが、調和道丹田呼吸法であります。後に、調和道協会々長となった村木弘昌医博の唱導により更に弘く伝播されることとな
り、これが今日の日野原重明会長に引き継がれているのであります。
拙著「歩行禅」にも藤田道祖のことに触れていますが、このことが同協会事務局長桜井忠敬氏の、人知れず私に月刊紙「調和道」を送って下さる、機縁となっていた
とは、さる6月6日、東京谷中の全生庵(鉄舟創建、中曽根元首相参禅の寺)での研修会に参加して始
めて知りました。
その縁で、当日の講師もつとめられた、日野原先生とも親しくお話できる機会も得、講
話の中で拙著の紹介までいただけたことは、望外の喜びでありました。
講演の標題は、「メメント・モリ」(Memento Mori・死を忘れるな)」であり、
カソリックでは、神父・シスター 間の日常出逢いの挨拶として慣用されているということでありま
す。この言葉については、武士道を訓える、元禄時代、大道寺友 山の著わした「武道初心集」の巻頭の次の言葉が思い合わされます。
「武士たらんものは、正月元旦の朝、雑煮の餅を祝うとて、箸を取 る初めより、その年の大晦日の夕べに至るまで、日々夜々、死を常に心にあつるを以て、本意の第一と仕り候。」
まこと生あるものには、死はつきもので、元日の雑煮をいただく時から、その年の除夜の鐘を聞くまで、「メメント・モリ」でなければなりますまい。生には、消費税以上に、堅牢、確実に死の裏付け
があり、その税の徴収は、予期せぬ一瞬の出来事の場合もあって、死とはまことに厳しい取立人と申せましょう。
その、何時訪れるとも知れぬ死を前に、我が生を全うする方便として、藤田師創始の調和道呼吸法があるわけであります。
時に利害損得のみにこだわり、 時に他人の噂話を生甲斐の如くに 語り、あれやこれやと興味を分散させたまま、喜怒哀楽の波間に気泡の如く世を去って行く慣いの中、心を落ち着け身を調えて、虚空に心を遊ばせる修練の場、丹田呼吸法は、身体にも精神にも稔りを約束するものであります。
日野原先生の著書には、次の引用もありました。
精神分析学者エリック、エリクソンの「人間は死に向かって成長する」という言葉です。
生なくして死はなく、死なくして生はない以上、おぞましい死に眼をそむけることなく、死を見すえることが、生を充実させる所以で、まこと、「メメント、モリ」に他なりません。
また、先生のお話の中では、幼児結核に罹って登校も許されぬ身であったため、ピアノを習得された音楽との出会いは、今や指揮棒を振り、更にはミュージカルの脚本製作、果
ては出演までなさって、不運ともいうべき病気が、却って 心の豊かさを与えてくれたことを述べられました。呼吸の呼気について話された時には自ら発声され、高音でビブラートを利かせて長く長く続けられたのには、聴衆
一同恐れ入ったものでした。白寿にして此の声を聞くとは。 このようにして、私は、広く調和道にも学びつゝ、自らの「靜坐の会」をつゞけて参りたいと念じ
ています。幸い当地区では、舞鶴トラベル矢野社長の支援を得て、 JR東舞鶴駅に隣接する社屋を提供いたゞき、毎月例会を催しております。参加者は多くありませんが、京阪神より、また時に東京、福岡からも同行(どうぎょう)の士を得ていることは喜びにたえません。
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