日野原重明先生の百寿を寿ぐ

 少し事旧聞に属しますが、昨年 六月、調和道(呼吸法)協会主催による標記の会が、東京、上野精養軒で催されました。
  出席の申込みをしましたところ、はからずも桜井専務理事様より、乾杯に先んじて、短時間のスピーチもという御依頼がありました。ところが、よんどころない用件が生れて、余儀なく遅刻せねばならぬ こととなり、その任を果たせぬ次第となりました。
  こゝに、現代の巨峰を仰ぎ観る当日の思いを、拙文に綴りたいと存じます。
 かつて道元禅師は 「徒らに百才生けらむは、恨むべき月日なり、悲しむべき形骸なり」と述べております。尤も八百年前のこの言葉は現代と異なり、百寿の人など巷には皆無であったと思われますから、「どんなに長生きしても」の譬えに過ぎなかったでありましょう。
  しかし、先生は現代正しく百年を生きぬかれたのであり、しかも「徒ら」どころか余りにも充実した百年であることは今更申すまでもありません。
 道元禅師より百年余り経ちますと、あの有名な「徒然草」が世に出ます。その百十七段には、友にするにふさわしい三つの条件、友にするにふさわしくない七 つの条件が述べられております。
 後者には、「若き人」という条りが出て参ります。先生は決して若くはございません。
 また、「病なく身強き人」という項目があります。先生の長寿を支えてきたものは、決して頑健な肉体ではなく、十才にして病まれ長らく登校かなわず、その間家でピアノを学ばれ、二十一才の大学時代の長期病床にあられた時は、その仰臥の中で、頭に五線譜を描 いて作曲することで心を癒されました。これが、今日オペラを作り、タクトを揮われる音楽活動の素地となったのであります。すなわち、決して病なく身強き人ではなかったのです。
 そして、友として好ましい三つの条件の第一は「物くるゝ友」であります。
 先生は、一九七〇年、五十八才 の時にあの有名な、赤軍派による 「よど号事件」に遭われました。 その時、犯人達が乗客に読みたい本の希望を募ったところ、先生は「カラマーゾフの兄弟」を択んでおられます。ともあれ、四日にわたる一件は落着、生命を失うことなく大地に一歩を印することのできた時の靴を履いた足の感触を今もまざまざと覚えている、と述懐されています。すんでのことに失なわれたかも知れない生命を拾った、これからは今まで以上に人の為に尽力しようと決意されたのであります。その後の八面 六臂の御活躍は旧制三高の弁論部史で述べられておられるのを読んで深く感動しました。
 更に好ましき第二は「医師」で あり、第三は「智慧ある友」であります。この件については今更申し述べることは何もございません。
 以上、徒然草に述べるところをお話して参りましたが、我が国の誇るべき巨人に対して、古典からとは申せ「ふさわしい友」の引用 は、勇み足もいゝところで非礼の譏りを免れないと存じます。たゞ、この会場では、自ら進んで各テー ブルを廻られる、というお元気で気さくなお申出をいたゞいておりますので、お祝いの場に免じて重々お許したまわりたいと存じます。
 先生の類(たぐい)稀な百才の長寿を心よりお祝い申し上げますと共に、今 後一層の御健勝をお祈り申し上げ ます。



←前へ