小倉遊亀と「おいずる」

 昨秋、滋賀県立近代美術館では、日本を代表する画家、小倉遊亀氏と安田靫彦氏(「遊亀と 靫彦」)の作品展が催されまし た。
 私事でありますが、靫彦に師事した東(あずま)白陵先生が家内の高校時代の絵画の先生で、彼女のその後の進学進路は先生の勧めによるものでありました。
 余談はさておき、展示品の中に、小倉遊亀が愛用したとい う、木彫の小さな狗子(くし)像が展示されていて、それには、「伝天田愚庵作」と説明が添えられていました。図録の説明によると、遊亀が「愚庵さんの犬」と呼び、玄関において出かける時はいつも頭を撫でていた、とのことであります。
 又 、会場には靫彦所蔵の宗達の「狗子像」の画幅もみられましたが、その犬の相貎は、愚庵作の犬とそっくりで、恐らく、彼はこの絵を模して彫ったのではありますまいか。
 ともあれ、余り親しみのない天田愚庵という人物について少し説明を加えます。
 彼は安政七年(一八五四)、平藩(現代のいわき市)の家中、甘田(後、天田に改姓)家に生を享け、十五才にして元服もそこそこに戊辰の役に参加、仙台まで敗走の後に戦が終り、帰郷してみれば、両親や妹が居なくなっていて、五十才で歿するまで生涯かけてその姿を尋ね求めたのでありました。
  しかもその一生は数奇を極め、上京の後、山岡鉄舟に師事、後に稀代の侠客、清水次郎長の養子となり、ここで、詩歌等文才に長(た)けた彼は、次郎長の一代を聞 きとって、「東海遊侠伝」という書物(見開きには、鉄舟の墨絵や、海舟の賛がある)を世に出しています。この次郎長伝こそが、後の講談、浪花節、芝居等に現れ出る次郎長の人間像や人生絵巻の、唯一の貴重な素材となっているのであります。
 後に有栖川宮家に奉職することになった彼は、とりあえず清水家との縁を離れていますが、 養父であった次郎長に生涯義理を欠くことはありませんでし た。その後、有名な禅僧、由里滴水の下で出家、僧となり、名を鉄眼(鉄舟の一字をとる)としたのであります。
  その後、清水(きよみず)の産寧坂に寓居 (これを愚庵と名づけ、自らの号ともした。此処へは正岡子規、 高浜虚子などが訪ねた)をかまえた彼は、禄も貯えもなく、一時期、食事は一日二食とし、一 ケ月の糧としての一斗の米を、十人の篤志家の寄進に頼っていま す。その中には、鉄舟の門人、三代目京都府知事、北垣国道の名も見られるのであります。
 そして、もはやこの世で父母との出逢いは適(かな)うまい、西国霊場を巡って観音像の中に父母の俤(おもかげ)を見出すがよい、との鉄舟の勧めで、明治二十六年九月二十日、秋彼岸会の入りを期して、 西国札所巡礼に旅立ったのでありました。
 二十一日には、修学院の林丘寺に滴水和尚を訪ねたところ、その巡礼を奇特に思った滴水 は、早速笈摺(おいずる)を作らせて、背に両親の戒名をしたゝめ、前の両襟には漢詩を書いて、愚庵に与えています。
 実は、この笈摺は、彼の死後、鉄舟同門の小倉鉄樹がもらっています。彼は門弟の東大生の手を借りて剣道場を開いていますが、同門からは、緒方竹虎(自由党総裁)、岸道三(道路公団総裁)などを輩出しています。
 実は、この鉄樹こそ、小倉遊亀の主人であり、鉄樹の死に臨んで、遊亀の手でこの笈摺が着せられて旅立ったのでした。 実に長々と記しましたが、最初に述べた遊亀愛用の愚庵作狗子像の件も理解されることであ りましょう。
 ところで笈摺とは、その昔、笈を衣類に直接背負うと着物が傷むので、一枚羽(は)織ったのが「おいずり」で、これが後年訛(なま)って「おいずる」となったのであります。
 江戸期、これは背を三巾に縫うことを定めとして、両親あるものは、中央が白で両側が赤、片親のものは、真中が赤、両親ともになき人は、全て白と定め ております。
 したがって、浄瑠璃「傾城阿波鳴門」では、幼ない巡礼おつるが、父の十郎兵衛、母のお弓を探しての、舞台での旅姿は、いうまでもなく両側が赤となっています。
 然も、一巡目は父の菩提、二巡目は母の菩提、三巡目は衆生の菩提のための、三巡が勧められました。
 以上、愚庵の生涯かけての父母の探索、おいずるの訴える現代への呼びかけ、等々を顧みる時、いかに西国巡礼が孝心涵養に結びついていたかを偲ぶことができるのであります。正に、現代にあらまほしき巡礼の心といえるのではありますまいか。
 因みに、吉川英治が愚庵の生涯に深い関心を示し、執筆の意欲をもらしていた、といゝます が、果たせなかったことは残念で なりません。
 また、夏目漱石は彼について 正岡子規に送った便りに、
  一東の韻に時雨(しぐ)るる愚庵かな
  の句があります。明治三十年 十二月のことで「一東の韻」とは、漢詩の韻をふむ時の型式で、この韻をふんだ漢詩が、時雨の如くわき出た、とその詩才を讃えています。
(拙著「歌僧天田愚庵T巡礼日 記 Uを読む」《すゞき出版》を 参照願えれば幸甚です)




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