馬と少年

 今から十年前のこと、京都府教育委員会から「京の子ども 明日へのとびら」と題した、「心の教育」を目指す四冊の本が配付されました。夫々、小学校低学年、中学年、高学年、中学校の生徒に対応するものです。 
 執筆者は、先日亡くなられた日野原先生や、稲森和夫氏、千玄室宗匠等をはじめ、錚々たる方々で、当初お話のあった時はとても気臆れしてお断りしたのですが、一市民の声としてとの強たってのお奨めで、次の拙文となりました。小学中学年向きの私の文章をそのまゝ転載します。

 大志をいだけ
 昔のお話です。思いがけないじこで自ら動けなくなったお父さんが、小学校六年生の兄と三年生の弟にとれたばかりの魚を市場にとどけるよう言いつけました。日ごろかわいがっているくり毛の馬(アカという名前です) に荷車をひかせて夜明け前に市場にとどくよう、深夜に出発したのですが運悪く、どしゃぶりの雨になり、ほそうのできていない道はどろぬまのようになって車輪がはまりこんでしまい、車は進めなくなりました。二人の兄弟は、アカをむち打ち、その首を必死にたたきます。アカは、一歩でも前進しようと口にあわをふきながらあがきます。しかし、車はびくともしません。とうとうアカは、その場にはいつくばってしまいました。
 今までその首をたたきつづけていた兄弟が、ふと気づいてアカの目を見ると、そこにはなみだがいっぱいあふれていました。日ごろ愛していたアカの必死の思いを見た兄弟は、思わずおいおい泣くのでした。ふりしきる雨の中に二人のなみだも止まることがなかったのです。
 これは、徳永直(すなお)という人の『馬』 という物語の一場面です。ここには、当時のきびしい生活と労働にまつわる、兄弟と物言わぬ馬とのあせとなみだの感動的な心の通い合いがあります。おそらく、そこには作者自身のまずしくきびしい体験が反えいしているのでしょう。まずしさはときに深い感動をあたえます。
 ところで、わたしは戦時中、軍隊の学校にいましたが、食料不足で一日中おなかをすかせていました。十日に一度、おまんじゅ
うが二つ食たくに出ましたが、わたしはこっそりぬのぶくろの中に入れておきました。夜になると、三日にあげず、アメリカのばくげき機が来て、わたしたちは、身を守るためにぼうくうごうに入らなければなりませんでした。そこはだれもいない、たった一人の世界です。そこで、あのおまんじゅうをぬのぶくろから取り出すのですが、かじって食べたのでは早くなくなります。より長く、よりていねいに味わうために、皮をなめ、あんをなめました。この体験があるので、食べものをそまつにする気持ちには決してなれません。「もったいない」という心が「食べ物のとぼしさ」を通じて育っていったのです。


挿絵は、長谷川容子氏他十五氏の方の執筆によるもので、筆者本文に記載されたものを転載させていたゞきました。



 ところで、明治初年、札幌農学校(今の北海道大学) に初代の教頭としてふにんした、クラーク博士がその母国へ帰るときに、「少年よ大志をいだけ。」と言ったのは、とても有名な話です。実は、クラーク博士の言葉は、「大志をいだけ」のあとに次のように続いているのです。「それは、金を得るためではない。けんりょくを得るためでもない。また、むなしいめいよを手にするためでもない。大志をいだけ。それは、人の人たる道を歩むためのすべての修養をなしとげるために。」というのです。労働をとうとび、まずしさやとぼしさにたえる心を養うためにも、大志の方向を見失わないように生きることがたいせつです。

 以上が、当の一文でありますが、勤労の尊さ、貧しさの厳しさ、そうしたものを経験してこそ、人間性は高まるのであります。明治天皇は日清戦争の折、広島大本営で冬期火鉢、暖房を用いることを許さず、戦野の寒気に堪える兵士たちの苦痛を偲ばれたと申します。
 また、この本が出る一年前、石原慎太郎氏は或る新聞で、「失なわれようとしている子供たちのために」と題して次の一文を寄せています。
 現代の特性として子供たちの脳幹そのものがひ弱なものになってしまっているのだ。原因は社会の豊穣と平和がもたらした安逸であって、貧困と欠乏は人間に我慢を、強い不安は緊張をもたらす。(中略)暑いといえば冷房、寒いといえば暖房、お腹が空いたと訴えれば容易に間食があてがわれる子育てでは、子供の脳幹は安易に放置されるまま動物としての耐性を備えることができない。
 と記しています。そうした点では冒頭の二人の少年兄弟が、アカを鞭打ち、最後はアカの涙に打ちひしがれて、その首にくらいついて泣き暮れる姿に、雨が一層激しく降り注ぐ場面は正に一枚の絵で、少年やアカに対して限りない愛おしみを覚えます。
 古来、「可愛い子には旅をさせ」「他人の家の飯を食わせ」といった、安逸を貪ることを禁じた心得が育んできた心の豊かさは、現代、残念ながら物の豊かさに奪われて了いました。


 



←前へ