腹で息して 、 腹で歩む(歩行禅)

 「最近の日本の堕落ぶりを見て、 武士道の復活以外にもはや救う術はない」と述べる、数学者、藤原正彦お茶の水女子大学教授が、新入生に先ず勧める本は、新渡戸稲造著「武士道」、内村鑑三著「余は如何にして基督教徒となりし乎」「代表的日本人」、鈴木大拙著「日本的霊性」などでありますが、鈴木博士の当書では次のことが述べられています。
 「大地はあらゆる生命を育くみ、またその死を受け容れるもので、大地に根ざす宗教こそが霊性にめざめたものである。親鸞にとっても、北国、関東の二十年にわたる僻地流滴の、大地に親しむ暮しこそが、その宗教体験を深めた。
 親鸞は念仏の信心を配流の身となった機会に、大地生活の実地にこれを試さんとしたものに相違ない。京都に居る限り此の機会には決して逢著できなかった。僻地に流され鋤鍬を動かすものの間に交わって自らもそれを動かして居なかったら、法然から獲たという信念も、実は『そらごと、たわごと』の一種にならなければならなかった」(以上要約)
 そして、鈴木正三道人の  「一鍬一鍬に南無阿弥陀仏仏と耕作せば必ず仏果 に至るべし」と いう言葉も引合いにしています。
 また、博士は、平安仏教の中でも大地との触れ合いについて、修験道(山伏)に相応の評価を与えていますが、他ならぬ 、私どもの徒歩巡礼行も、かねてより、大地 を踏みしめる両脚をそれぞれ鋤鍬とみなして、「歩々仏々」の心田を耕すこ とを念ずるものであることを唱導して参りました。
 ただ、恒例の西国徒歩巡礼も、私自身は諸行事に手間をとられ て、…近年一日か小半日程度の参加になっておりましたが、昨年十月には、JR播但線竹田駅近辺から宮津の二 十八番札所成相寺まで中日(なかび)一日、前後半日宛の都合三日で七十Hの道のりを歩いて、かつての感触がよみがえり感動を新たにしました。次いで、十一月には JR東海道線柏原駅から一日半の行程 42 Hで谷汲山に参りました。
 参加者三十人、皆は通算二百H の道のりを完歩し、私はその半ばを過ぎる程度でありましたが、平均年齢六十八才の同行に伍して八十一才の私がさして遅れることもなく歩めたことは嬉しいことでありました。
 ただ、上り坂となりますと、否応なく体力の格差を覚え、人様のように会話を交わしながら歩むなどは、願うべくもありません。
 私が殊更意を用いたのは呼吸であります。足で歩くのではなく、 呼吸で歩く、という思い入れで、 二息吸い、四息吐くリズムで歩くことに努めました。他に思い煩ろうことは極力避けて、専ら二吸四呼のみが念頭にありました。
 書道では、筆を持つ手先に力を入れると運筆がうまく捗りませ ん。腕全体で筆を運ぶといったコツが要求されますが、歩行でも足に力を入れるのではなく呼吸を主体に足の運びをできるだけ自然にゆだねるように心がけました。
 調和道呼吸法の始祖、真言宗の僧、藤田霊斉師は
  腹であるき  腹ですわり  腹で寝よ  日々のつとめも腹の力で
 と教えています。かようにして、 目的地に到達したときは、深い満足感に充たされます。こうした呼吸法は、日常の行住坐臥にも生かすことができます。
 美空ひばりはその「やわら」の 中で
 行くも 住(とま)るも 坐るも  ふすも 柔ひとすじ  柔ひとすじ 夜が明ける
と歌っていますが、この「やわら」 を「腹式丹田呼吸」に宛てます と日常呼吸の心得となるわけで す。
 夜半、醒めて寝むれぬ一刻などは、例の二吸四呼の呼吸を暫らく試みた後、岡田式静坐の腹 式呼吸を行なっています。
 腹に力が入って、不随意筋に力が加わると、副交感神経が働いて、心の静謐につながる、という説明を、毎月、舞鶴静坐会に出席いただいている長廻紘(ながさこひろし)先生(東京女子医大名誉教授)より教えていただきました。
 ちはやふる 神の社(やしろ) は 我が身にて 出て入る息は  外宮内宮(げくうないぐう)        新渡戸 稲造



H22.10.25  円覚寺前管長 足立大進老師 (左より2人目)御来講。
翌日は海上自衛隊第23 航空隊で講演された。



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