午年を迎えて(馬頭観世音菩薩)

 天高く、馬肥ゆる候  といえば、「食欲の秋」とくるのが定番になっていますが、 本来の意味は全く違います。
 いよいよ秋が到来して、北方騎馬民族の飼い馴らす軍馬が、食欲旺盛に身を肥やし、北の国境を蹴やぶって侵入する危機の日が近づいた、とする南方民族 の警戒の常套句なのであります。時に寒季も近く温暖を求めての北方人の、南進策への警戒でもあったと思われます。
 さて、戦いすんで陽が暮れて、となると、
 華山の陽(みなみ)に馬を帰して   牛を桃林に放つ
 という次第になります。かつて武王が周を建国した時の言葉でありますが、もう馬は不要とて、陝西省の高山、華山の南方に帰したというのであります。
 併し、歴史を繙けば、「天高く」と「華山の南」が何度も繰り返されたのではありますまいか。
 ともあれ、古来馬は、我が国の戦史を始めとして西部劇から 韓流ドラマに至るまで、そのスピード、遑しさに於いて、比類 なき花形戦士でありました。
 一方、中仙道を徒歩で歩むと、実に数多い馬頭観音の石碑に出会いました。木曽馬が車馬 交通、物産交流の生活基盤となっていて、その馬への感謝慰霊の標 示に他なりません。
 ところで、御存知、今年は午(うま)年、我が三十三ケ所中唯一の馬頭観音さまの出番と申せましょ う。
 午(うま)は十二支中、空間的には方角として真南にあり、北の子(ね)に対応して、子午(しご)線の言葉の由来となりました。
 一方、時間的には正十二時を刻むこととなり、午前・午後が 生れる所以となりました。
 ところで、最近は、「ぶれる」とか、「先延ばし」といった言葉 がしきりに用いられています。 古来、私たちは、T武士に二言なしUとしてぶれることを戒め、機に臨んでは果 敢に決断することを良しとして参りました。
 どうです。この辺で、ぶれることのないしっかりした方向づけ(子午線)と、徒らな遷延を避けるためには、午後十二時を以って日付は変るという自戒を、午年を迎えて改めて考えてみようと思いますが、如何でしょう。


馬頭観世音菩薩
 

絵馬(裏に願い事を書く)



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