静坐に聴く「灰の音」

 家庭用血圧測定器の普及は、サイレント・キラー(沈黙の刺客)といわれる、高血圧による疾患の救済に大きな働きを果 しました。
  併しただ、単純に自分の脈をとってみることだけでも、生きていることの證しは確認されます。ところで、この脈博の働きは何によるものでしょうか。自分のみならず、あの人も、この人も、いや地球全ての動植物、 生あるもの全てにこの命の脈博が働いているさまは、日常用いる無数の電波時計が、母体の発信源によって動いているさまも連想され、壮大な生命の原動力が偲ばれます。
 また、申すまでもなく、私たちがこの世に生命を宿した時、最初に接するのは母体の心音でありましょう。
 生後、赤ん坊が泣き叫んでいる時、この心音になぞられた音を出す頑具をその傍におくと、泣きやむといわれます。
 禅でいう「帰家穏坐(きかおんざ)」。この音色に耳を傾けることこそ、生命の根源への実家(さと)帰りに他ならないからでありましょう。
 また、赤ちゃんを抱く母の姿勢も、多くは左手を以てその頭部を抱くと申します。赤ちゃんの耳が母の心臓により近くなる からです。
 この脈動こそが、先に述べた宇宙萬物を貫く生命の音に他なりません。
 それでは、観音さま、というとき、この音は何を意味しているのでしょう。そして、観音経に、「妙音観世音 梵音海潮音  勝彼世間音」と説かれます が、この「妙音」こそ宇宙の脈動であり、身近かにこの手首に触れることのできる脈博でもあ ることを知る時、今更ながら、生かされている不可思議な力の妙音に耳を傾けたくなるのであります。この命の音こそ梵音であり、ひとたび眼を転ずれば、渚にたゆとう海波のさざめきに、一層鮮明な宇宙の命の脈動を感ずるのであります。
 身近かな話になりますが、ここ数年来、JR東舞鶴駅前の舞鶴トラベルの2階をかりて、毎月一度「静坐の会」を催して参りました。五十分、三十分、二十 分の三坐、ただひたすら沈黙を守り呼吸に工夫をこらします。
 顧みて、TV、CD、メール 等々、何と私たちの周辺は騒がしいことでしょう。一つこの辺で断食療法に倣(なら)って、情報断食で以て、妙音に、梵音に、心静かに耳を傾けてみては如何でしょう。
 当寺に近い高浜町中山寺の先住、故杉本勇乗猊下は、若き日、求聞持虚空蔵法(虚空蔵菩薩の真言を百萬遍唱える)を修された時、立てた線香が灰と化して落ちる音が聞えた、と語られました。この妙音こそ、「いのちの音」ではありますまいか。



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