同級生三題「グリコの懸賞」

 昨秋亡くなった森浩一さん は、旧制堺中学(現三國ケ丘高校)時代の同級生でした。しかし、在校時特別 言葉を交わした記憶はありません。
 当時、少年森氏は、近くにあった反正天皇御陵に立ち入ろうとして警察沙汰になった由、戦後 仄聞(そくぶん)しましたが、「栴柤(せんだん)は双葉より芳し」でしょうか。
 その森さんが二年前、ひょっこり夫妻で来山され、まるで旧知(旧知には相違ないが、姓も名も当時と変っている私をどうして御存知であったのか)の如 く気易く話しかけられ、ついこちらも気楽に、
 「お元気ですか」
 「いや余りよくありません。人工透析もしていて…」との出だしから、客間に招じての暫しの座談に、つい時間の経つのも忘れました。
 その中で、司馬遼太郎さんに話題が及び、
 「僕は、司馬さんにグリコの懸賞みたいな文化勲章はもらわんように勸めた」との話が出 て、余りに唐突な両者の対比に大笑いさせられたものです。
 私などは、勲章は高嶺の花は愚か、天空彼方の星にもたとえたい思いがしますのに。(司馬さんは結局受賞しています)
 その後、空海に言及したものを含めて、数冊の著書が贈られてきましたが、その中の「森浩一、食った記録」には、川魚が嫌いであった司馬さんとのウヰスキーの杯を傾けながらの会食の様子が、面 白く語られていまし た。
 昨秋、新聞で森さんの訃報を知りましたが、その紙上では、「考古学は金銭や名声を求めることのない町人の学問である。として、生涯、学位 、受賞を断りつづけた」と解説されていました。



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