昨年八月、旧制高校での同級、同寮同室の義兄が亡くなりました。大学卒業の日も間近い昭和27年3月24日、
たまたま私が彼の家を訪ねていた時、
「キデンソウダイトケッテイス、ヘンマツ、トウダイホウガクブ」
の電報がもたらされ、その日の乾盃は、日付の変るまで続いたものでした。
日本銀行に奉職した彼は、生来寡黙で社交性も乏しく、専ら 「巧言令色鮮(スクナ)し仁」を地でゆくタイプで、さしていわゆる名をなす、といったこともなかったように思われます。
ただ、周囲や旧友の信頼は殊の外篤く後年、弁護士をつとめました。
亡くなる二ケ月程前に見舞いにゆくと、彼がいとおしげに見せてくれたのは、旧海軍兵学校生徒が腰にしていた短剣二振で、何れも戦後に購入したもの
だ、とのことでした。昭和20年の僅か4ケ月程の海兵生活(77期)であったのですが、余程深い印象を覚えていたのでしょう。
ところで、私は平成元年、たまたま縁あって、江田島の第一術科学校で話す機会が与えられ、彼に何か良い話題がないものか、と尋ねたところ、数ある思い出の一つに次のことを告げてくれました。
当時の分隊生活では、自分は三号生徒で一号生徒(二年上級)、二号生徒(一年上級)と起居を共にしたのだが、国のために死なねばならぬ
、天皇陛下に身を捧げよう、という思いは余りなかったが、この上級生となら一緒に死んで悔いがない、という人がいた、と語ってくれました。
彼を魅了してやまなかった士官候補生こそ現代でも希求されてやまぬ
、ノブレス・オブリッジを担(にな)った人間像に違いありません。
好個の話題として学生諸士に訴えたものであります。 |