或る生前葬

 日本女子医大名誉教授・長廻紘(ながさこひろし)先生には、昨年九月、土浦市に於て生前葬を催されました。先生はコロスコープ開発により早期大腸癌診断に多大の寄与をされ、海外の教科書にその名が紹介されるのみならず、英文参考図書も数多く出版されて斯道の恩師と稱されています。

自裁文(抜萃)
 わたし長廻紘は本日、つい先ほど第二回目の死を迎えました。第一回は、2004年、医者をやめたときです。あれから約15年、第二の人生にも別れを告げて、また新しい人生を歩むことになります。第二の人生は今日おいで頂いている松尾心空老師の御指導の賜物で、素晴らしいものでした。あらためてここに感謝いたします。次の第三の生も、きっと悪くはないものと期待しています。
 第一回の生(いわゆる現役)において、内視鏡の世界で何事かのことを為しえたという自負があったので、未練なく第二の生へ向かうことができ、そこでは人間が生きるとは何か、について考えつづけました。弱い頭で考えても仕様がないので二本の足に助けられ、すなわち歩きながら考えました。生きることの意味が何となく分かった気がするので第二も終わり、行ってみないと分からない第三へ向かいます。本日の生前葬という会がその起爆剤になることを期待して、お忙しい皆様に御参会いただいたわけです。  
(中畧)
 医者を辞めてからの十数年は、もっぱら歩くこと、歩いてゆっくり物を見、かつ考えるという期間でした。自動車や列車で移動しても何も見ることは出きません。歩いて見えるものこそが本当に見るべきものです。
 動物は動く物と書きます。消化吸収や呼吸循環か生きることの基本ですが人間が生きるという場合には動く、足で動く、ことが根本です。動物が動くのは食物を得るためですが、人間は精神が向上するような動きでなければなりません。「身体と心は協力し合って行かなければならないのに、ときどき調子が狂ってしまいます。そのとき二人の医者、すなわち左右の脚に頼むとすぐ元の心と身体に戻してくれる」といいます。足の言うことを聞いているうちはなんの問題も生じません。「わたしが集中できるのは歩いているときだけだ。立ち止まると考えは止まる。わたしの精神は足を伴うときだけ働くようだ(JJルソー)」。逍遥学派アリストテレスやキルケゴールは街を歩きながら思索しました。
 人間は呼吸によって大宇宙と、歩くことによって大地とつながっています。大地を踏みしめて土とじかに接して歩くと、足底、踝、ひざ、腰を伝わって全身に及ぶ振動が全身の神経を刺激し身体を統一・活性化し、それは最終的に脳に伝わります。足は全身の司令塔・コントローラーです。年を取って歩かない、歩けない人は、昔は死に、いまは死なずに認知症に。
 死神は別の面から生きるとは何かを教えてくれます。図らずも居ることになった現在の職場・労健にはそういった意味から天の声が満ち満ちています。生命の奥底から死は突如襲い掛かってきます。
 人類は立って歩いた結果、脳が大きくなり手が自由になりました。外に置かれた脳といわれる手を使って人は何かを造ります。生物である人間とは、形を生み出す(生きる)のです。生は生である以上、形をとります。造るというキーワードで生きることを、見ることができます。
 たとえば、ピラミッドを築く場合、膨大な石塊を秩序ある形に積み重ねることが要請され、そのためには、「今」そして「此
処に」力を集中する不断の努力が必要となります。このことが、とりもなおさず、生きることの表現に他なりません。また同時に、その目的のためには、緊密な人間関係が必要で、論語にある「有朋(ともあり)遠方より来ル」類の隣人こそ力を借してくれることでしょう。全てこれらは、孔子の「人生とは成熟に向かう歩み」即ち脱皮への努力に他なりません。
 この脱皮による変身が、三国志呉志に周瑜が呂蒙を評して、「男子三日会わざれば刮目して見るべし」と云わしめた所以であります。
 ところで、子供らしくない子供は、大人らしい大人になれないといゝますが、これは自我の硬い殻を破る脱皮の成否に関係しています。この殻を破ることができれば、希望と幸福感につゝまれた老後が待っている筈。
 「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけむ(『今様』)。
 「露の世の露のなかにて 喧嘩かな(一茶)」 了

嘆徳文
 謹しんで、東京女子医大名誉教授・長廻紘先生に、嘆徳之文を手向けます。
 先生は今年喜寿を迎えられ、本来なれば御祝の儀に遷るべき処、あえて生前葬を択ばれたのは、世上の慣いよりみて、極めて「奇」併せて「妙」と申上げなければなりません。
 世上多くは死を遠ざけ、生を享受することを以て、欣びとしているにも拘らず、あえて末来に訪れる死を先取りして、喜寿の欣びに換えるに生前葬を営まれるが故に、世人怪しみて「奇」とする所以であります。 
 一方、身近かなことでありますが、最近の日経新聞の「わたしの随想」欄に、次の記事があって眼を魅かれました。
 非常階段は平素用うべし、との警句であります。非常なるが故に、事ある時のみ用いるのが、この階段のありようで、さて有事に臨んで当の階段を用いてみれば、間々通行を妨げる邪魔物が置かれていたり、照明は故障していたり等々の予期せぬ障害が進路をさまたげます。以て非常階段の日常使用の勧めの警句が生れたものと思われます。 
 正に、先生は非日常的死を日常生活の中に設定することを以て、今生の生そのものをより深く瞶め自覚を促そうとされたに違いありません。
 あえて非常階段の日常使用を以て、先生の生前葬に喩える所以であります。それ故に今日の催しを「妙」と稱する所以であります。
 顧みて、先生の医学的業績は、内視鏡のパイオニアーとして、夙(つと)にその高名が海外にも顕著であることは申すまでもありません。
 またその学識は広く諸般に及び、哲学、歴史、文学、宗教、美術等々、先生御所持の書物はまことに浩翰なもので、その一冊一冊を播いてみると、隈なくサイドラインが認められることは驚嘆に堪えません。
 しかのみならず、ひとたび心を逍遙の道に転ずるや、西国三十三ケ所巡礼の道や四国遍路を自らの足で踏破、更に驚くべきことは、フランスはピレネー山脈を越え、ラ・コンポステーラ大聖堂に至る八百粁の道、所謂サンチャゴ巡礼の道を単独踏破、それも一度ならず回を重ねておられます。
 先生の著書「癌の声に聞く」の一節には次の一文があります。
 「何十日も国を明けたが、日本に関する情報は全く入らなかった。帰りの機中で新聞を読むと福田首相という活字があり冗談かと思ったが、いつの間にか首相が代っていた。」とあります。以て孤高の巡礼者の面目躍如たりと申すべきでありましょう。
 又、我が舞鶴の地で毎月催されている「靜坐」の集いには、遠路屡々御出席たまわり兼ねて翌日は、拙寺が位置する海抜七〇〇米の青葉山に登山されるなど、その並み外れた体力、求道心には驚嘆すべきものがあります。
 さて、総じて今日のこの催しを喩えれば、日だまりの縁側で、閻魔大王と先生がさりげない世間話に興じていられるさまにも喩えられましょうか。さてと閻魔さんが腰を浮かして、本座敷に先生を招き入れ、やおら浄玻璃の鏡を抱えて現れるまでは何卒御身御自愛たまわらんことを心より念じ上げます。
 最後に松代藩、大道寺友山著す処の「武道初心集」の冒頭の句を餞けとして先生への弔文を綴じます。

 正月元旦の朝(あした)、雑煮の餅を祝うとて、箸を取る初めより、其の年の大晦日の夕べに至るまで、日々夜々、死を心にあつるを以て、本意の第一と仕り候。
 維時平成三十年九月七日  
  卒寿翁 心空 敬白




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